ブログ 岡本浩和の「人間力」発見日記

94歳で逝った伯母のこと

長い一日でした。
先日急逝した伯母の葬儀に行って来ました。
午前6時東京発ののぞみ1号に乗り、JR草津線三雲駅に着いたのが午前9時56分。
従姉の娘&息子が迎えに来てくれていたのでその足で斎場へ。
伯母にひとたびのお別れを告げてきました。
(きれいな顔でしたよ)

このたびの顛末は以下の通り。
5月中旬に黄疸の症状が出て、入院したことは以前も書きました
その後、不具合があって何度か入退院を繰り返した後、6月29日に帰宅。
(しんどいのは変わらずもまったく元気だったそうで)
その翌日30日に、ちょうど帰省していた僕は、
いつものように散髪をしてほしいだろうから電話をしてもつながらず。
従兄に確認したら、先日、転倒して
顔を打って怪我をしたから寝ているので無理だろうとのこと。
(また次の機会にと思って訪れなかったのですが、今となっては後悔)
聞くと、
従兄嫁と従姉が交替で介助介護をしていたのですが、
怪我をしたその日は従姉が交替時間に5分ほど遅れたそうで、
その入れ替わりの5分間に伯母は自分でできると思い込み、
おそらく飲物を冷蔵庫に取りに行ってそこで転倒、顔面強打ということに・・・。
頬骨、眼底などいくつかの陥没骨折も高齢のため手術が叶わず・・・。
(結局この怪我が致命傷になったようでした)

その後も足腰覚束なく、調子は決して良いとはいえないということで、
寝込んでいたところでの7月6日土曜日のこと。
その日は元気で一時減退していた食欲も出て、たくさん食べて、たくさん喋っていたそう。
しかも叔母(実妹)や父(実弟)にも電話したり、ハーモニカを披露したり、
(今考えると)まるで皆にお別れをするかのような振舞いだったようです。

ところが寝ている最中に大量に血を吐き、
(といっても内臓からの出血ではなく、顔面の怪我による鼻や口からの出血)
止まらないということで、救急車で運ばれ、
病院で入院の準備をしている最中に急激に血圧が下がり、
そのまま静かに息を引き取ったということでした。
(7月6日土曜日の午後11時57分)

ちなみに、7月6日は旧暦6月1日で節目の日。
少ししんどいと言いつつも直前まで普通に対話していたので、
大して苦しまずあっという間に静かに逝ったこと。
数日前からたくさんの親戚縁者関係者に自ら連絡をとっていること。
(実弟、つまり僕の父に対しては電話していないのに「電話くれたか?」とかかってきたそうで、
夢を見ていたのではないかということになったいます)
あるいは、僕も聴いたことがないハーモニカを披露してくれていたこと。

何より今日という日については、
このところ多忙な僕が(まるで計ったように)7月で唯一予定が空いていたこと。
(それだけでも奇蹟!)(間違いなくすべては按配の中にあります)

こういう事実を並べても、すべては偶然とはいえず、
命、霊性(真我)というのは死期を悟って、確実に皆にとって最も良い日を選んで
天に帰るのだということがよくわかります。
完璧な最期でした(笑)。

伯母との思い出はたくさんあります。
このところ毎月帰省する時も毎回会って、歓談していたので寂しくなりますが、
これからはもっと自由になって、いつもサポートしていただけると思うと心強いです。

わかる人にはわかると思いますが、
僕の周辺のこういう事実だけをみても(少なくとも僕には実感があります)、
世界が一つになり、平和な世界に転換するための大変革が始まっているのだと感じます。

ということで、一連の行事を終え、21時過ぎに東京の自宅に戻りました。
ほっと一息つき、今この記事を書いています。
長文読んでくださり、ありがとうございます。
※写真は今年の正月2日(再掲)。伯母の元気な姿がもう見れないのかと思うとちょっと寂しい。


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