他人の課題に介入しない

  1. 「私は正しい」という幻想を溶かして捨て去ること

    昨日から妻が所用で実家なので、午前、床拭きをした後、一人静かにバッハを聴きました。特にバッハの音楽は心の栄養だと思います。おすすめですよ。アルフレッド・アドラーは他人の課題に介入してはならないと言いました。しかしながら、縁ある人にはつい言いたくなるのが人の性。

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  2. 何を優先するか?

    何を優先するか?誰もが自分の判断基準をもっていて、その価値観に基づいて事を決定していくもの。何が正しいかは誰にも決められないことで、ましてや他人に事の是非は問えません。

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  3. 德を積むことは、ご恩返しをするということ

    人の身体に触れることは、いろいろな意味で影響を受けるといわれます(仕事の場合なおさら)。直接身体に触れることはなくても僕の仕事のように、クライアントの心の深層に入り込むような仕事の場合も同じく、特に負の影響について護る術を持たないといけません。

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  4. 他人の課題に介入せず、自分自身の心を淡々と修めること

    昨日のオンライン講義では、事務局担当者がZoomの扱いに慣れていないのか、BORの運用の際にトラブルが発生しました。ギリギリのタイム・スケジュールで動いていたので、数分の中断は相当大きかったのですが、そこは想定内、頭を切り替えて、時間内にフィニッシュしましたよ(汗)。

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  5. 他人の課題に介入しないというのは絶対

    つい口出ししたくなるのが人の情というものでしょうが、アドラーの言葉通り他人の課題に介入しないというのは絶対だと思います。口出ししたくなるときの自分の状態は、良かれと思ってというのはもちろんですが、それ以上に背面には確実に相手に求める「我(が)」があることがわかります。

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  6. 与えられた人間関係の中でいかに自己成長を図るか

    無情であるということは、決して冷酷だということではありません。むしろ愛はあって、情がないという状態でしょうか。情があるから、他人のことが気になります。気になる源泉は、相手を思い通りにしたいという求める心でしょうね。

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  7. 私は正しい??

    いつもどこかで「私が正しい」と思っているのが人間。それが過ぎると、どうしても排他的になってしまいます。アドラーは他人の課題に介入すること自体が、依存的なのだと言いました。「思い」が過ぎるということは他人の課題に介入しているということでしょう。

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