ブログ 岡本浩和の「人間力」発見日記

父の若い頃の、祖父の壮年期の、つまり戦中、戦後間もなくの話

昨日の午後、93歳になる伯母がカットのため実家に来ました。
終わって、父母と伯母と妻とでお茶をしながら、
父が20歳の頃(昭和29年)に書き綴ったアルバムの話題になりました。
僕も長らく存在を知らなかった、父が20歳の頃にそれまでの人生を振り返って
心情、心境を写真とともに克明に綴ったもので、
それは、とても20歳の青年が書いたものとは思えない高尚な(?)、哲学的な(?)
自己への気づきと、壁や障害を生きる糧にして、
その後の目標や希望が、あるいは腹を割った恋愛観や、諸々が細かな文字で書かれた
ほとんど私小説と言えるような代物でした。

少年時代の父は恥ずかしがり屋で消極的で、
心の内側をそう易々とは表にできない性質のようでしたが、
父親(つまり僕の祖父)の反対で高校にも行かせてもらえなかった悔しさと
それをバネにして学問に打ち込もうとする反骨心と、
同時に自分の存在価値を懸命に見つけ出そうとする姿勢に、
すべてが当たり前のように生きてきた僕自身とのあまりの違いに愕然としました。

もちろん時代背景は異なります。
それでも生命力の強さとでもいうのでしょうか、
あるいはハングリー精神というのでしょうか、
そこには勇気や慈しみや、そして智慧すらも感じられたことに感動したのです。

父は、「自分は運が良かった」と常々言います。
人間の力、そして自力ではどうにもできない目に見えない力が
間違いなく働いているとしか考えられないとも言います。
僕はそのことを「家の德があったんだ」と付け加えました。
なぜなら、例えば祖父が高校行きを反対したことについて
父は今でも半分本気で愚痴をいっていますが、
それも背景やその後の経過を具に聞いてみると、
すべてがそれで良かったことが、そうでなければならなかったことがわかるからです。
父も「なるほど德か」と納得していました。

そういえば、岡本家の長男の名前を過去300年辿っていくと、
皆に「弥」という文字が付いていることがわかります。
つまり、僕だけ「弥」が付かないのです。
そのことも以前父に理由を聞きましたが、「弥」の付く他の候補もあり
周囲は誰もがそれを勧めたそうですが、父は姓名判断ほか自分の直感を信じ、
「浩和」という名前にしたそうです。
僕はこの「和を浩める」という名前が今はとても気に入っているので
良かったなと思います。

人間の運命というのはわからないものですが、
間違いなく過去無量の、累々と連なる何か、それこそ「德」というものの
影響があるのだとつくづく僕も感じます。

世界は時間と空間で成り立っています。
時間は横軸であり、空間は縦軸と換言しても良いかもしれません。
それぞれの軸を拡げることが、意識を拡張することであり、
すべての人々が過去も未来も、
そしてすべての人々に真に意識を拡げられたとき、
世界は本当の意味で変わるのだろうと思います。
そしてその状態、状況こそが「慈しみ」そのものなんだと思うのです。

明日からまた日常が始まります。
良い1週間でした。ありがとうございます。


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