ブログ 岡本浩和の「人間力」発見日記
3.192026
たとえ理不尽なことに出会っても、心の中で決して争わないこと

昨日もまた深い学びをいただきました。
4年間中国は北京に赴任し、この1月に帰国された方のお話。
一番の学びは、中国人に対する自分の偏見に気づいたそうです。
(基本的に自己主張の激しい民族ですが、少なくとも自分の周囲の人たちは皆慈しみ深かったと)
(電車に乗っても、街を歩いていても慈しみに溢れていたと)
世の中には情報が氾濫しており、
それは大抵メディアの主観で作られています。
(嘘ばっかり)
実際のところ、ニュースとは幻想なんだと思います。
自ら体験し、体感したことでないと真実とは言えないのです。
しかしながら、そのすべてを体験し、体感することは不可能でしょう。
それならばどうするのか?
まさに本質を見抜く「第三の眼」を養うことしかありません。
彼は言いました。
つい先日、子どもの卒園式に参加したとき、
園長先生の贈る言葉に心が反応しました。
先生は、The Blue Heartsの「情熱の薔薇」の歌詞を引き合いに出されました。
「心はきっと奥の方 心のずっと奥の方」
というフレーズにはっとしたそうです。
中国での体験から
「普通」って何?
本当のところはどうなんだろう?
そんなことを考えていた矢先の言葉だったから余計にそう思ったということでした。
これは、まさに老子の言う「玄のまた玄」、すなわち「茲」を指しています。
シェア会もとても盛り上がりました。
最後に、真の自分自身を見失わないことが大事だと教えていただきました。
生後3ヶ月くらいの赤子が、宙に対して掌を結んだり開いたりして自分の手を発見することを、
ハンド・リガードと言いますが、それこそ自我の目覚めだといわれます。
生後すぐの赤子には自我がありません。
彼らは、すなわち本性、霊性そのものなのです。
幼子のようにならずば、天国にあらず。
(マタイ福音書第18章第3節)
赤子のような心、すなわち真我そのものに還ることができなければ、
「理天」にはいられないよ、ということです。
世の中には理不尽なことだらけですが、
たとえ理不尽なことに出会っても
事の上で争うだけでなく、
心の中でも決して争わないことが最重要なのです。
争わない心こそ赤子の心の本質だと思います。
日々精進。
ありがとうございます。
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