ブログ 岡本浩和の「人間力」発見日記

日常、いつどんなときでも「慈しみ」を発現できるかどうか

昨日はまる一日資料作りに勤しみました。
短時間で一気に準備するには集中力が必要です。
僕は集中力が高い方だなと思います。
ある程度の枠組みだけ確保して、あとは現場で臨機応変が僕のスタイル。
要は準備にそれほど時間をかけない、否、かけ過ぎないということです。(笑)

ところで先日、与謝野晶子の以下の句の真義(理の観点からの解釈)を教えていただきました。

「劫初より作り営む殿堂に われも黄金の釘ひとつ打つ」
~『草の夢』(1922年)

この世の初め、天地開闢よりこの方、営々として築き上げられてきた芸術・文学の大殿堂に私も輝かしい黄金の釘をしっかりと打ち込みました。

一般の解釈は上記のとおりです。

与謝野晶子は意識していなかったかもしれません。
しかし、本性、つまり霊性・命そのものから発した真意は、
世界の真の平和の実現のために必要なことは、各人の慈しみの行ないであり、
私も天からサポートさせていただけるよう、100年前から準備していましたよ、
ということのようです。

空(くう)から、ゼロから見れば、歌人与謝野晶子の霊性は
確かに現在を見通してこの句を認めたように思われます。

日常、いつどんなときでも「慈しみ」を発現できるかどうか。
日々、毎瞬、意識したいと思います。
いつもありがとうございます。
※短歌は「五・七・五・七・七」で作られています。北野武さんがどこかでおっしゃっていましたが、合計数含めすべて素数で出来上がっている事実に驚嘆します(俳句も同じくです)。
人類の叡智の結集ですね。


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